今この時に伝えたい、特攻隊員として命を落としていった若者たちの「ドキュメンタリー映画」

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『筑波海軍航空隊』映画オリジナル予告編

『筑波海軍航空隊』
特攻隊員として訓練をされ、死に向かっていった若者たち。
元特攻隊のインタビューでつづられる「ドキュメンタリー映画」。

なぜ戦争をしてはいけないのか?戦後70年の今だからこそ語られる戦争のお話

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1943年。敗戦の色濃い太平洋戦争の末期、爆弾を抱えたゼロ戦で、アメリカの戦艦に体当たり攻撃を仕掛けた若者たちがいました。
生きて帰ることのない「神風特別攻撃隊=カミカゼ」と呼ばれた若者たち。
何故彼らは戦争に駆り出され、死ななければならなかったのか?
その真相に迫りますー。

學園から大空へ 筑波海軍航空隊

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彼等が入った「筑波海軍航空隊」とは、一体どんな部隊だったのでしょう?戦闘機の教育部隊であり、1934年に「霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊」として開設され、1938年に「筑波海軍航空隊」に改称されています。
当時は戦況が悪化していたため、通常4年かかる基礎教育が4ヶ月で実施されていました。海軍志者12万人の内、飛行機搭乗員を育てようと、およそ8500人を選抜。神風特別攻撃隊として出撃したのは、77名でした。

特攻隊員として「死」を覚悟した青年たち

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特攻隊員として共に訓練を受け、日々「死」と向き合った仲間。敗戦の色が濃い戦争にも関わらず彼らは特攻隊員として訓練を受け、その運命を受け入れました。というより、受け入れざるを得なかったのです。
「お国のために」生きて帰ることの許されないこの時代に、彼等に選択肢はありませんでした。

戦後70年が経った今だからこそ、語られる戦争体験者の最後のメッセージ

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今なぜ「特攻隊」という映画なのか?
特攻隊、或いは戦争映画というと「お国のために立派に戦った英雄」というイメージがありますが、その当時のお話や元特攻隊であった人、戦争体験者の話を聞いていくと、実はごく普通の若者たちの素顔がありました。
「ある程度の選択を与えられている人だったら、これは悩みますよね。でも生の選択はないわけですから、特攻隊というのは。」

『筑波海軍航空隊』
8月1日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて公開
(C)2015プロジェクト茨城