変人?天才?マンガの神様・手塚治虫の仰天エピソード満載!「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜」

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変人?天才?マンガの神様・手塚治虫の仰天エピソード満載!「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜」
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週刊少年チャンピオンで不定期連載され全5巻が発売

デビューから逝去する1989年まで生涯現役を貫き、存命中から「マンガの神様」と評された手塚治虫。その筆から紡ぎだされた数々の名作は藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)や赤塚不二夫をはじめとする、多くの漫画家たちに影響を与えました。
当時から現在でも考えられないような仕事量をこなし、並行してアニメーションも手がけるといったその能力は様々な逸話として今も語り継がれています。
その一方で、常識はずれな行動も多かったと言われ、特に代表作「ブラック・ジャック」にまつわるエピソードについては枚挙にいとまがありません。今回はそんな興味深い話の数々を、当時の関係者たちのインタビューからコミカライズした「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から〜」(原作:吉本浩二/漫画:宮崎克/秋田書店)のご紹介です。

世間のイメージとかけ離れたその実像

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自身そして周囲に一切妥協は許さないストイックな性格の持ち主

全盛期にはなんと10以上という、現在においても考えられない量の連載を抱えていた手塚治虫。殺人的とも言えるスケジュールに加え、それぞれの作品には一切妥協しないという姿勢から結果的に原稿はいつも〆切ギリギリとなるため、意外にも陰で同氏を嫌う編集者は多かったそうです。ひどいものになると、陰で「遅虫」や「ウソ虫」など悪口を言う人もいたそうです。
出版各社の編集担当は「手塚番」と呼ばれ、1人だと目を離したスキに手塚氏が行方をくらまし、2人だとやはり目を離したスキに他社の編集者が同氏を連れ出し、自社の仕事を優先させてしまうことから、常に3人が手塚治虫が原稿を書き上げるまで監視していたそうです。そんな担当者たちをよそに「ちょっとそこの銭湯へ行ってきます」と、仕事場から600kmも離れた、実家のある兵庫宝塚まで出奔したというちょっと笑ってしまうような話からも、当時の編集担当者の苦労を伺い知ることができます。

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倉庫のような脳内!記憶のみでスタッフに指示出し

1980年の夏、アメリカ・サンディエゴで開催されるコミック・コンベンションに参加することになった同氏のスケジュールを聞き、当時の秋田書店担当である伊藤嘉彦氏は驚きを隠せません。帰国日が最終校了日(〆切)と重なっていたのです。
「人物のペン入れをした原稿をアメリカから送る」と言い残し出国したものの、ネーム(構成の下書き)さえ受け取ることはできませんでした。そして〆切の2日前、手塚プロを訪れた伊藤氏はスタッフからまだ何も送られて来ていないと聞いて絶望します。インターネットはおろかファックスさえない時代、絵を送る手段などない…しかし手塚治虫は前代未聞の方法で原稿を仕上げるのですが、その手法は驚くべきものでした。
まず国際電話でスタッフに方眼紙でコマ割りを指示し、何とか完成したコマだけの空欄原稿に、これまでの著作で描いた背景を指定、アシスタントが先行してペンを入れます。現地まで原稿を受け取りに行った他社の編集担当によると指示を出す際、手元に一切資料等はなかったそうです。どの作品の何ページ目の何コマ目と言うように、自身が書いた内容を全て暗記しており、さらに書棚の資料の収納場所まで指示していたというのです。そして帰国してすぐ近くのホテルで人物を書き加え、何とか〆切は守られました。同氏の様々な逸話の中でも特筆すべきエピソードと言えるでしょう。

天才ゆえの気まぐれ?徹底したこだわり

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アスリートが持つ「ルーティン」のようなこだわり

ふだんは温厚な人物ながら、漫画に関する事では気分屋としても有名だった手塚治虫。ある時、取材で訪れた秋田でネーム用の鉛筆を忘れて来たと言うのでアシスタントがいつも使用している「三菱uniの2B」を買って来たのですが、同氏は「秋田のuni」では描けないと言ったエピソードがあります。
その他にも、真夜中に「スイカが食べたい」「浅草のカキの種」「六本木のコンソメスープ」、さらには差し歯やスリッパなど、執筆には関係ないものまで、それがないと仕事が進まないと言うため、その度にスタッフは探し回っていたそうです。中でも当時高級品だったハーシーズのチョコがお気に入りだったという手塚治虫。チョコを食べると本当に美味しそうに食べ、執筆の活力源となっていたようです。
〆切を引き延ばす作戦というものから、天才ゆえの理由なきワガママなど、様々な憶測がありますが当時を語る関係者が一様にそれを悪く語らないのが印象的です。

「鉄腕アトム」海賊版に対する驚愕の対応

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怒りの理由は他のスタッフの予想を超えた理由

1981年、高田馬場にある手塚プロに一冊の本が届きます。それは「臂阿童木」、手塚治虫そして日本での初めてとなる国産アニメ作品「鉄腕アトム」の海賊版でした。これを手にした同氏は怒りをあらわにして「ひどい…」とつぶやきます。外務省を通して抗議をしますか?とスタッフに対して、怒っているのはそのことではないと答える手塚治虫。
怒りの理由は、無許可使用や著作権侵害ではなく別のところにありました。
日本のマンガは縦長レイアウトが主流ですが、中国で出版された海賊版は横長サイズ。縦長の原稿に収録できない部分を現地の人間が勝手に描き加えていたのです。手塚治虫はそのクオリティの酷さに憤りを感じ、怒っていたのです。
そして「こんな絵では楽しめない」と自分が描き直した原稿を、無償で海賊版の版元へ送るという予想外の「神対応」と言える行動に出ます。抗議どころか作者本人が海賊版を本物にしてしまう…手塚治虫がいかにマンガを文化として愛していたかが伺えますね。

常に「新人」であり続けた天才マンガ家の素顔

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最期まで創作意欲を失うことがなかった「神様」

ある出版社が主催した新人作家を発掘するためのコンテストで、審査員の立場にありながら「自分の作品を応募したい」と語っていたという手塚治虫。その飽くなき情熱からか、非常に嫉妬心の強い人物としても知られ、才能ある新人と出会うたびに驚き、時には落胆し、そして対抗心を燃やして敵意むきだしの攻撃的な言動で相手の怒りを買うことも珍しくなかったそうです。
その仕事量の多さから、商業マンガ執筆で初めてプロダクション形式を始めたとも言われていますが、アシスタントが入社すると食事に連れて行き、笑顔で「早く辞めてください」と言い放ったそうです。驚く新人たちでしたが、その真意は早く一人前のプロになれという同氏流の激励の言葉でした。
晩年、体調を崩した手塚は病院から仕事場へ電話をかけます。仕事の指示かと思い、電話受けたあるベテランのアシスタントは「自分のマンガはどうした!」と激怒されます。あふれる創作意欲があっても動けない師匠に対し、健康を持ちながら創作意欲を持たず長年居着いている弟子…そう受け取ったアシスタントは自身を恥じたそうです。

そして1989年2月9日に手塚治虫は永眠。最期の言葉は「仕事をする。仕事をさせてくれ。」だったそうです。存命中、関係者たちに対して「ものを創る人がパーフェクトを目指さなくてどうするんですか」と語っていた手塚治虫。
現在、世界中で高い評価を受けている日本の文化「マンガ」の礎を築いた、まさに「神様」と呼ぶに相応しい人物と言えるのではないでしょうか。

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